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ドン・コサックの軍事組織として成立した

ドン・コサック軍は、16世紀にドン・コサックの軍事組織として成立した。名称は、根拠地を流れる大河ドン川に由来した。当初はモスクワ大公国やロシア帝国に対する反乱を起こすこともしばしばあったが、次第に帝国の体制に組み込まれていった。

ロシア皇帝ピョートル1世によって推し進められた組織の改変に反発し、ドン・コサック軍はウクライナのヘーチマン、イヴァン・マゼーパと結ぶなどしてピョートルに対し敵対行動をとった。ピョートルに敗れた後、ドン・コサック軍の一部は1737年からオスマン帝国へ逃亡を始め、クバーニ地方に居を構えるようになった。その後、一部はルーマニアに組み込まれた。
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一方、ロシア帝国領内に留まったドン・コサック軍はロシア帝国から認められた南ロシアから東ウクライナの一帯、現在のロストフ、ヴォルゴグラード、ルハーンスク、ドネーツク、ヴォローネシュ、カルムイク共和国一帯をテリトリーとしていた。この地域は、帝政時代にはドン軍県と呼ばれ、ドン・コサックは皇帝へ忠誠を誓い軍務に就く代わりにこの地方での一定の自治を認められていた。中央集権の強いロシア帝国では、このように自治権が認められることはきわめてまれであった。そのため、ドン・コサックは半ば特権階級と化した。ドン軍県の首都はノヴォチェルカースクに置かれた。

弾圧行動としてよく知られたのは、ロシア第一革命中にオデッサで起きた戦艦ポチョムキンの反乱で、ドン・コサック軍が市街において民衆の武力弾圧を行い大勢の死傷者が出た。

ロシア帝国のドン・コサック軍はロシア帝国の軍隊として働き、数々の戦争に参加した。露土戦争やクリミア戦争での活躍が知られる。また、祖国戦争でも7万のドン・コサック兵がナポレオン軍と戦った。

第一次世界大戦中の1916年には、ドン・コサック軍は150万の兵力を誇り、帝国内で最も強大な軍事組織のひとつとなった。ロシア革命後、ドン・コサック軍は白軍中最大の勢力となり、ラーヴル・コルニーロフの指揮の下赤軍に大きな損害を与えた。しかし、1918年には祖国を追われることとなった。その後もドン・コサック軍はドン軍(Донская армияドンスカーヤ・アールミヤ)として南ロシア軍内で活動を続け、組織を維持した

その後、白軍の敗北によりドン・コサック軍はトルコへ亡命した。この亡命の道は、旧来ロシア帝国に追われたロシアやウクライナのコサックたちの辿った道であった。ドン・コサック軍は、1962年までトルコに居住し、その後は帰国の許されたロシアやアメリカ合衆国へ移住した者が多かった。

現在は、ロシア連邦国内のかつての居住地に、一部のドン・コサックが従来のような自治権を持って居住している。

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2009年04月29日 07:07に投稿されたエントリーのページです。

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